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半世紀前の26期生を思う
特集 2022.06.15

半世紀前の26期生を思う

#バンクのつぶやき

 井上和巳のバンクのつぶやき    

かなり古い話だが、今から51年前の昭和44(1969)年3月7日、静岡県・伊豆修善寺町の静かな山奥に新設された「日本競輪学校」で26期生の卒業記念レースが行われた。

同校は昭和43年7月に竣工式が行われ、その直後、101人の生徒が入学。8カ月間の訓練を終え最終的には100人の生徒が卒業式直後にデビューした。

競輪はそれより20年も前(昭和23=1948年)から始まっているので、フアンは新設の学校にはあまり注目していなかったようだ。しかし、卒業式には関係者や家族をはじめ600人もの人が参加。25期生の訓練(6カ月)より2カ月も長い訓練を終えた卒業生の将来に期待を寄せた人も多かったろう。

それから約3カ月後、速記者として12年間も職務についていた私が、突然、競輪担当になるように命じられた。競輪のことは何も知らなかったが、当時、競馬、競輪などギャンブル界は上昇中でどこの新聞社も担当記者を増やしていたようだ。

そんな話はどうでもいいが、幸いだったのは26期生と私は同期生だという気持ちで仕事ができたことだ。従って少し前に終わった彼らの卒業記念レースの優勝は神奈川の杉淵孝一で、高知の島田伸也、松本州平、茨城の島谷陽三、宮城の泉豊らが2着以下で入線した記録などはいつでも記事にすることができた。 

このほかにも、静岡の栗田岳文、神奈川の田原三美、山口の大和孝義の記録などいろいろあるが、後日、中野浩一や井上茂徳らと九州勢を盛り上げた熊本の矢村正(熊本)のことが分かりにくい時もあった。しかし、すぐ話題になるだろうと思っていた。

そんなことを考えながら、トップクラスの島田伸也、松本州平、杉渕孝一をはじめ、私が暮らす近畿の田中正太郎(滋賀)、田渕重利(兵庫)といった同期生らを取材するたびにレース面に書き続けて競輪を覚える努力をした。

 上の写真は左から島田、松本、大和孝義の順で並べてみたが、そんな日常の中で、同年7月23日、島田伸也と松本州平が高松、広島の両競輪場で10連勝してA級に特進。翌24日には北山英利(長崎)、25日には杉渕孝一。少し飛んで8月1日には矢村正、加瀬薫(東京)、関口政志(埼玉)、坂本敏博(兵庫)の4人が特進。この年、26期生だけで37人がA級に特進したことが大きな話題になった。 

こうした事実によって日本競輪学校は有名になり、受験生も毎年、増加していったが、26期生の中で何回も取材させてもらったのが大和だった。

大和は10連勝(特進)には失敗したが、昭和44年6月、久留米で失1①の成績で優勝したころから、彼が近畿の競輪場に来ると急いで出かけ、「プロ選手の生活」を聞かせてもらった。

その大和を特に注目したのは昭和50(1975)年2月の岐阜トライアルで優勝したころからだ。同年のダービーは3失11に終わったが、3戦目の相手は中川茂一、荒木実。最終日は小金井光良、杉井正義、斑目秀雄といった手ごわい相手だった。

さらに昭和52(1977)年の名古屋記念では中野浩一、高橋健二らに22①。同59(1984)年の防府記念では木村一利相手に31①で優勝するなど知名度は広がっていった。

その後、平成14(2002)年に日本競輪選手会の常務理事に抜擢され、引退後はプロ入りを目指す山口県内の青年はもとより、小学校4年生の子供たちにも「自転車」のことを指導するなど現在も競輪界のために尽くしている。

それを説明するには長い文章が必要なので後日にしたいが、私が大した間違いもせず長期にわたって競輪の仕事ができたのは26期生と一緒にスタートしたからだと今も感謝している。

 

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