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高谷雅彦(青森67期A級1班)600勝達成インタビュー
インタビュー 2022.05.11

高谷雅彦(青森67期A級1班)600勝達成インタビュー

#スペシャルインタビュー

高谷雅彦選手が2022年2月24日広島競輪場でついに600勝を達成しました。

青森支部の支部長として活動し、まだまだ自力でも頑張る50歳の大ベテラン!

 『まー坊頑張れ!』その声援がバンクにある限り、高谷選手の闘志の火は消えることはないのでしょう!

600勝できたのは競輪が楽しいからですね!

-600勝達成した時の心境は?

「すごい嬉しかったですね。まさか自分がそんな選手なれると思ってなかったですからね」

-高谷選手がそう思っていたことにびっくりです。

「だって、競輪学校を卒業してすぐの頃に、青森競輪場で練習していて、皆に『弱ぇーな』って、『すぐ選手やめるな』って言われてましたから、本当に(笑)。

あの頃は新人リーグで、同期で一番年下だったし、北日本の先輩が強かったんで。まぁでも、競輪学校から先行していたし、逃げ切ったことも何回かあったんで、俺ってそんなに弱いのかなーって思っていて。新人戦はそんなでもないけど、そこからA級にあがって、初日逃げ切ったりしてました。ある時、金古(将人)選手と最終日特選に別線になって、そこで1着を取れたのは嬉しかったですね。だって、金古は同期のスーパースターでからね。雲の上の存在に勝てたのは嬉しかった! そこからですね」

-それが自信になったんですね。

「そうですね、でも、たくさんの人に助けられたおかげですね。(坂本)勉さんがよく『練習に来い』って言ってくれて、北日本の先輩たちの中で練習させてもらったりとか、冬季移動で宮城に行った時もそこで宮城の選手たちにすごくお世話になったし、かわいがってもらえたので、味方は多かったのかなと思います」

-600勝を達成した時は色んな感謝と喜びがあふれてきたんですね。

「やっと出来たというか、区切りは意識していたので、早くクリアしたかったんですよね。いつかクリアできるかもしれないけど、やっぱり1レースでも早く達成したかったので、(出来た時は)『よかった!』って。それで『さぁ、次はどうしよう』っていう感じで。500勝から7年かかったんですよね。43歳から50歳だからね! (次の700勝)50歳から60歳に向けてになるから簡単に700勝とは言えないですよね(笑)。なので、1つ1つだと思っています。その積み重ねですよね。700勝をしたからといって何があるわけではないのですけど、でも、何か目標を持ちたい人間なので、だからって700勝が目標って言わないですよ、650勝とか630勝くらいで、ちょっと1つずつ積み上げていければいいかなと思います」

-600勝のうち印象に強かったレースはどれですか?

「忘れられないレースは地元の青森で行われた全日本選抜(1995年)の二次予選の逃げ切ったレースですね。初日特選9着だったんですけど、そうしたら阿部良二さんから『高谷、初日と同じ先行しろ』って言われたんです。それで、『えっ、何でですか? 9着だったんですよ』って僕が言ったら、阿部さんが『大丈夫だ! 相手はお前が先行すると思ってねぇから、絶対に油断しているから、先行しろ』って言われて、それで先行したんです。その当時はお客さんがすごくいたんですよ。24か25の時だったんですけど、(お客さんに)『高谷ァー!』『すごかったぞ!』とかってすごい言ってもらって、その時に涙が出たんですよね、嬉しくて! 自分らしい先行で、それが一番忘れられないレースでした。

あれを後輩たちにも経験してほしいんですよね。大きな声援の中で走ってほしいんです、そうすると選手たちもそれで成長すると思うんですよね。そこで結果を出すと脳にも残るから、もう一回やりたいっておもうだろうし、それが地元なら余計にそう思うはずなんで、それにまたお客さんも興奮するだろうし、絶対に相乗効果だと思うんですよね。それをやりたいために支部長になったというのはあります」

-競輪人生30年を振り返ってどうですか?

「今年で32年目になるんですけど、いやー(競輪が)面白いんですよ! 競輪が好きなんでしょうね。部品を1つ変えてもワクワクするんですよね。前から競輪は好きだったんですけど、もっともっと今は好きになっている感じですね。面白いよ、競輪!」

-どんなところが面白いですか?

「(対戦相手は)ほぼ自分より若いヤツだし、そんな相手でも勝たなきゃいけないわけだし、勝ちたいじゃないですか。どうやって勝つかっていったらトータルで勝てばいいやって思っているので。もう10秒5で走る脚はないので(笑)、12秒3でそれに勝つにはどうすればいいかなとすんごい考えているんですけど、まず気持ちで負けたらダメなんで、そこは絶対に崩さず、攻めないと勝てないですからね。4番手で流れ込んでも勝てることはないので前に踏まないとダメなんで、そういう気持ちでは勝ちたい、負けたくないなって思っています。S級にいた時からそう思うし、相手がイヤがることしなきゃってずっと思ってました。脚では吉岡(稔真)さんに負けるんだから、吉岡さんのイヤがることをしなきゃ勝てないんですもん」

-面白いから頑張れるんですね。

「600勝できたのは競輪が楽しいからですね!

これは滝澤(正光)さんや遠澤(健二)さんにも言われたことですけど、サウナとかで、僕が迷っていたから助言をくれたと思うんですけど、『高谷、前に出てから考えろ! 前に出てから先行、捲りって考えろ。それもやらないで考えているから中途半端なレースになるんだ』って滝澤さんに言われたんですよ。遠澤さんには『高谷、その4時30分になったら絶対に走らなきゃいけないんだぞ、逃げるわけにはいけないんだ。だから楽しく走るべきだ』って言われたんですよ。他地区だけど、そうやってアドバイスくれて、2人のアドバイスは今でもすごく覚えているんですよね」

-そういうアドバイスは、高谷選手の人徳と競走スタイルがもたらしてくれたものなんでしょうね。

「そうだったら嬉しいですね!」

-先輩のアドバイスは重要ですよね。

「今も一緒になった時には、『決勝はお前の勝つレースをしろ。でも、それまでは味方を増やすレースをしろ、魅せるレースをしろ。そうすれば決勝も楽になるから。相手にもヤバいなと思わせた方が上手くいくから』って若い子には言っているんですよ。

そしたら、まんま木村佑来にやられました(笑)。強いんだよね!」

-そうやってアドバイス通りに出来る選手は楽しみですね。

「そうそう! 素直だし、強いし、S級にいっても楽しみな選手ですよね。そういう選手がいっぱいいるんですよ、本当は。でも、やれないとかやらないとかっていうのもいるから、そういうのは同地区とか同支部だったらアドバイスはできるんで」

-素質はあってもレースでは発揮できないのは残念ですからね。

「そこは気持ちなんですよね。自分は逆だったんで、脚はそんなでもないけど気持ちは負けないって思ってきたので。脚の方の練習もしたけど、気持ちの勉強もしたんですよね。30代前半くらいに勉強したんですけど、これを20代でやれば、もっともっと違う競輪人生だったのかなと思ったんですよね。今の若い子たちにもいい競輪人生を送ってほしいので、ことあるごとに話しているつもりですけど、うるさいおじさんだなって思われているかもしれないですけどね(笑)。まぁ、今はコロナでそういう機会がなくなっているから、そこはちょっと残念ですね。伝えることは伝えていかないとって、思っています。それが役目だし。競輪を大事にしたいんです。選手だけじゃ競輪はできないので、お客様がいらっしゃって、施行者、JKAがいて、僕たち選手がいて、記者や関係者、皆で成り立っているので、そこもわかって欲しいところですね」

-ファンの皆さんにメッセージをどうぞ。

「600勝した時にSNSを通じてたくさん『おめでとう!』っていただいたんですよ。その時に『これからもコツコツ1勝を積み重ねます』って。2000戦走くらいすれば700勝くらいになるんじゃないかと。2000戦走ってあと何年かかるかな(笑)。まぁでも、階段でも1段ずつあがっていけば上にいけるんで、高いところを目指すのではない、まず目の前の1つずつを、負け戦でも、積み重ねていく! それしかないですね」

高谷雅彦(たかや・まさひこ)

1971年8月9日生まれ。身長173㎝ 体重85㎏

Q支部長やりながら選手として結果も残すのは大変では?

「もう慣れましたね、自分の時間の分配方法だけなんで。練習も前みたいに(若い頃のように)100㎞乗るわけではないので。今は時間のある中でやれることをやればいいと思っているので、大丈夫です。どうせなら『うちの支部長はカッコイイでしょ』って『いい走りをするでしょ』って言われる方がいいですからね。『うちの支部長、50歳でも捲るんだぜ』っていう方がいいでしょ(笑)」

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