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直送!競輪場便り from 西武園競輪場 村田雅一(兵庫90期)
インタビュー 2022.07.20

直送!競輪場便り from 西武園競輪場 村田雅一(兵庫90期)

#競輪場便り

俊敏マーカー健在「オレがムラタだ!」

 兵庫の俊敏マーカーとして鳴らす男の真骨頂だった。22年4月下旬の西武園FⅠ決勝戦は、目標がおらず単騎の戦いを強いられた。それでも3分戦の主導権争いを見極めて前々に踏み込み最後の直線でシャープに抜け出した。19年4月の和歌山FⅠ以来の約3年ぶりの優勝を飾った。「次戦のダービーに向けて下ろした新車が、当たりましたね。久々だったのでうれしかった」とガッツポーズこそ出なかったがレース後は喜びを全身で表した。

 積み重ねたものは裏切らない。後は強くなりたいという覚悟だけ。それを実践してきたからこそ、今があることを自覚している。18年、A級降格から1年間上がれない時期が覚醒の一歩だった。

 それまでS級とA級のエレベーターを繰り返したが163㌢と小柄ながら地足を生かした粘りの走りで「そこそこやれてる」と思っていた。ところが同じ開催で2歳年下で体格も変わらなかった椎木尾拓哉の力強い走りを見て考え方が変わった。椎木尾は炭水化物やグリテンを摂らないダイエットを敢行。食事管理から始めた肉体改造の成果で縦横無尽な動きを目の前で見せつけられた。それまで好きなものを食べて一人で練習をしていた自分の限界を知り、減量から始めた。同期や後輩を集めて自宅でのトレーニングやバンクにも積極的に足を運び、5倍の大ギアでのもがき練習を取り入れるなど量も質も大きく変えた。翌年は成績も急上昇して「村田が練習でも一番強い」と評判にもなった。

 兵庫の練習仲間で集った自宅トレーニングは、21年にはネットでも練習生を募集する法人施設のサイクリングトレーニングジム「ムラマサベース」設立につながった。「4~5人が毎回自宅に集まってトレーニングするには嫁さんの負担が大きすぎた。だからみんなで出資してジムを作った。ホームバンクをもたない兵庫支部の僕らが気軽に集まってトレーニングする場所が欲しかったし、アマチュアが兵庫からプロを目指すルートも作りたかった。ジムを経営することで自分の今後の糧にもなる」とその経緯を話す。練習強化とともに兵庫支部の役員を務める身として次世代の育成も考慮に入れる。

 S級1班に定着してGⅠで走る機会も増えた。「異次元のスピードとパワーの中で競う競輪は楽しくて仕方がない。刺激しかないですよ。だから何度か付いた古性優作君やまだ番手はないけど脇本雄太君とも連係する機会もあるかもしれない。そんなチャンスを逃さないようにしっかり付いていける足はキープしていきたい」。しぶとい、いぶし銀マーカーは大舞台でも虎視眈々(たんたん)と大金星のチャンスをうかがう。

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