野球から競輪へ!這い上がり、チャンスをつかむか!?
球界注目の左腕から、輪界を代表する先行選手へ――。大村の第二の競技生活が始まった。
滋賀県出身。小さい頃から野球に親しみ、高校は県内の強豪・県立北大津高校に進学した。3年時にはエースピッチャーとしてチームの春季大会優勝に貢献。夏の大会では準優勝に終わり、甲子園出場には一歩届かなかったが、これまでの実績を評価されて関西の大学野球の名門・佛教大学に推薦で入学した。
ハイレベルな環境だったが、すぐに頭角を現した。1年生ながら背番号「19」を背負って、リーグ戦でも登板した。「佛教大の19番って大野雄大さん(中日ドラゴンズ)が付けていた番号。監督さんからも『大野みたいになってくれ』と言ってもらえました」と振り返る。期待のサウスポーだった。
189センチの長身を生かし、主戦投手として活躍を続けるが、4年時に骨折のアクシデント。また、けがを治して出場した近畿大会でも、本人が「自分のせいで負けた」と振り返る結果となり、ドラフトへのアピールに失敗。大学からのNPB(プロ野球12球団)入りは断念した。「独立ならば最短1年でプロに行ける」という大学の監督の勧めもあり、独立リーグから夢のNPB入りを目指すこととなった。
だが、独立リーグ入団後も苦難が続く。「春ぐらいにけがで調子を落としたりして…。でも、ドラフトの時期が近づくにつれて調子を上げていく。それが毎年、毎年で辞められなかった」とNPB入りが近くて遠い日々。1、2年での退団が当たり前の独立リーグに、結局4年間在籍したが、NPB入りを果たすことはできなかった。
競輪は独立リーグ主催のセカンドキャリア講習で知った。「野球では厳しかったけどプロスポーツに憧れていた」と一念発起して、家族の住まいに近かった川崎競輪場を拠点に、選手になることを志した。適性で不合格後、猛練習の末に技能で一発合格。この時点で28歳と年齢は決して若くなかったが、「オールドルーキーだった北井(佑季)さんが活躍しているのを見て。自分も頑張ればできる」と神奈川の先輩の頑張る姿が励みとなった。
1年間の養成所生活を終え、現在は川崎でS級選手らに揉まれながら日々トレーニングしている。「一緒に練習している郡司(浩平)さんや青野(将大)さんの前で頑張れるようになりたい。今はS級を見据えて、長い距離を踏むことや詰まったタイミングで仕掛けることを心がけています」と志は高い。一歩ずつ階段を上っていき、輪界のエースとなれるように努力していく。