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直送!競輪場便り from向日町競輪場 近谷 涼(富山121期)
インタビュー 2022.08.18

直送!競輪場便り from向日町競輪場 近谷 涼(富山121期)

#競輪場便り

遅れてきた大物

 少年の頃から、競輪選手になりたいと思っていた。その夢がかなったのが、30歳。今年デビューしたルーキーは、その高い競技力ゆえに回り道を余儀なくされたという、特殊な経歴の持ち主だ。氷見高―日大、そして社会人と、長くトラック中距離の第一人者として走り続けた。「ずっと競輪選手になりたくて、高校の時も大学の時も受けたいと思っていた。でも、2013年に東京五輪の開催が決まって、そこを目標に競技を続けようと」。2018年にはアジア競技大会で個人パーシュート銀メダルなど、実績は十分だったが、東京五輪出場はかなわず。「五輪には届かなかったが、競技は悔いなくやりきった感があったので」。日本競輪選手養成所には、特別選抜試験で合格(史上10人目)。今年、晴れてプロの道を踏み出した。

 本格デビューは7月の川崎ミッドナイト。アマでは百戦錬磨の近谷だが、戸惑いしかなかった。「川崎で初めてラインで戦った。ルーキーシリーズは点と点の戦いだったので。後ろに付いてもらって、緊張感は日に日に解けて、自分らしい走りはできたかな。でも同期にやられたりして、トータルでは50点」と、辛口の自己採点。そこから中2週ほどで迎えた向日町F2。初日は橋本大祐―奥平充男を連れて、東4車ラインとの力比べ。最終ホーム過ぎに5番手からまくり上げて、初の予選1着を決めた。「うーん、1番車だったのに初手で前が取れず、初めて後ろからのレースになった。前団との車間が空いて、なかなかまくりも出ず、脚を使った。もっと自分のレパートリーがあれば、ラインで決まったのに。それが悔しい」と表情は硬いままだった。

 ナショナルチームで鍛えられた近谷だが、中距離選手だったこともあってダッシュが苦手という。実は養成所の第1回記録会では、200メートルFDで最下位。にわかには信じられない話だが、理由はちゃんとある。「特別選抜試験は、実技がないんです。だから、競輪用のフレームに乗ったことがなかった。やはり競技のカーボンとは力の伝わり方が違うし、それでタイムが出なかった」。エリートアスリートにとっては屈辱だったかもしれないが、そこからフレームの違いにも慣れ、養成所卒業時には上位にランクするタイムを出せるようになった。「伸び率でいえば自分が一番だった。この年でも、まだまだ可能性があると思えましたね」と、自信をのぞかせた。

 向日町2日目は自分でレースを作ることができず、打鐘の3コーナー過ぎに絡まれて落車。最終日も欠場の憂き目を見た。これも初体験だったが、競輪選手なら誰でも通る道。「ようやく競輪選手になれた。なった以上は、息の長い選手になりたい。高校、大学の先輩でもある師匠(竹沢浩司)がまだ先行で戦っているし、自分もそこを目指して。いずれは中部を代表する先行選手に」。

一度の落車で、心が折れるはずもない。オールドルーキーではなく、遅れてきた大物。潜在能力抜群の近谷が、全国のバンクで暴れ回る日は遠くない。

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