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直送!競輪場便りfrom西武園競輪場 中澤孝之(大阪56期)
インタビュー 2023.04.19

直送!競輪場便りfrom西武園競輪場 中澤孝之(大阪56期)

#競輪場便り

名物レーサー

 昔から、イケメンだったが、コテコテの関西人キャラで、人の輪は常に出来ていた。長らくS級1班で活躍していた中澤孝之だが、57歳になり、競走得点は81点。孫がいる、おじいちゃんになったが、まだまだ血気盛んだ。「恥ずかしながら、二度結婚していて、最初の嫁の時の孫がいる。デビューして、45勝目で、すぐにS級にも特進。20歳の時だから、それから26年間、一度もA級には落ちなかった。そこからはS級とA級のエレベーター生活。

一番の思い出は門司記念を獲った事。門司競輪場は廃止されるのが決まっていてラストの記念だった。人気は地元の吉岡稔真君とか、伏見俊昭君。それが、まさかの準決脱落で、順位決定戦の方が決勝戦みたいで豪華だった。当時、売り出し中の金子貴志君と連係して、準決は差せなかった。だから、決勝は千切れない事だけを考えて走った。そうしたら、何故か優勝してしまい(笑)。吉岡君が優勝して締める、そんなストーリーをファンや関係者もしていたと思うし、地味な門司記念の最後にして申し訳なかった(苦笑)」。

あの頃の近畿のマーカー陣は、みんな目が血走っていた。松本整、内林久徳、古原勝巳、渡辺一貴、大井啓世と、俺が俺がという人ばかり。古原勝巳と金田健一郎の大阪同士が地元岸和田記念で競りというレースもあったし、マエタク(前田拓也)はヨコが甘く認められない時代だった。

「今でこそ、自在という走りは、もてはやされている。だけど、俺らの時は、中途半端な選手がやる戦法という認識だった。人の長所を伸ばさず、ただ、先行しろと言う雰囲気が漂っていた。考えが昭和だよね…」。

生涯を通じて現在360勝。S級で280勝したと言うから立派な成績だ。「年間、3、4勝しか出来ていないし400勝は遠いね。だけど、この年になって勝負の世界に入れるのは楽しい事だよ」。

名物選手の一人だし、還暦になっても、戦い続けて欲しい。

西武園ミッドナイトより。

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