4月25日から行われたガールズGⅠ、第3回「オールガールズクラシック」。トップレーサーによる本トーナメントの前に、3つのアンダーカードが行われる。その中のトーナメントAで優勝を果たしたのが村田だった。今回は2日前に追加を受け、急きょ参戦が決定。「車で熊本から小倉まで行って、大阪行きのフェリーに乗って、そこからまた車で岐阜へ。疲れました」と言いつつ、元気な姿で競輪場入りした。
予選1走目は後方の内並走という苦しい位置から、しぶとく外を踏んで2着。2走目はスローペースで仕掛けの機を逸し、流れ込んでの4着。納得いく形ではなかったにせよ、地力で決勝入りをつかんだ。迎えた決勝は、道中最後方で前の仕掛け合いを見極め、畠山ひすいのまくりをきっちり追走、直線伸びて差し切った。実に昨年7月以来、9か月ぶりのV。思えば前回の優勝もここ岐阜だった。「初日から苦しかったけど、いい結果で終われてよかった。まくり合戦でスピードをもらえればと思っていたが、畠山さんが仕掛けたし、付いていくしかないと。追い風にも入ってうまく進んだ。ゴール前は名前を呼んでもらったのが聞こえて、頑張れました。フェリー代は高かったけど、元は取れたかな(笑い)」と喜びを爆発させた。
ご存じの方も多いと思うが、村田は昨年2月に「脳脊髄液減少症」を発症し3か月欠場。6月に復帰したものの、9月に再度欠場、11月に戦線に戻ってきた。「踏ん張るスポーツなのに、それができない。怖くて、練習でもウェートトレーニングはできないし、影響はないとは言えない。その中で、軽いギアで脚を回したり、工夫しながらやってきた」。同郷の先輩・上村猛さん(72期・引退)が開いたスウェーデン発祥の「レッドコードトレーニング」サロンにも通い「調子の波がなくなった」と、効果を口にする。
昨年の第2回は、本トーナメントにエントリーしていたが先述の病気で欠場。賞金上位が出場できる大会だけに、2度の長期欠場がなければ今年も選出されていたはず。だが、村田はそのたぐいの文句は言わない。「こうして優勝を繰り返していけば、GⅠ出場につながっていくと思う。最初のオールガールズクラシックと、その次の競輪祭女子王座戦に出た後に病気になったので、もう1回GⅠに出たい。それと、まだ地元で優勝がないので、今後はそこを目指して頑張りたい」と常に前向きだ。
そして、さらに続ける。「もっと先の目標を言えば、50歳でトップにいたい。その年でそのレベルにいた人が今までいないから。そこに近い加瀬(加奈子)さんや、奥井(迪)さんがまだ先行で戦っているのを見ると、勇気をもらえますね」と。「病気はいつ(症状が)出るか分からないし、付き合っていくしかない」
運命を呪うことなく、ただ受け入れる。この強さこそが、村田を支えているのだろう。今回の優勝をきっかけに、大舞台へ返り咲く姿を見たい。