同期で最後の1人を目指す
疋田にとって24年後期は今後の競輪人生を左右するといっても過言ではない半年間だった。
「これを乗り越えたら、大好きな競輪がもっとやれる」。
2度の失格が原因とはいえ、今期はチャレンジに落ちた。もうあとがないという危機感から、6、7、8月は「命を削るくらい練習した」と話すが、思うような結果は残せなかった。8月函館では予選7着で2日目からシリーズを途中欠場。これが転機となった。
「そこからは疲れを取ることを考えようと思った。今は夏場の練習量の5分の1くらい。その分、集中して練習でも出し切れるようになったし、競走がすごく楽になった」
息子の力也(119期)の言葉にも気づきがあった。
「函館の後、力也に『お父さん、僕には力まずに乗れって言うのに、力み過ぎてるんじゃない?』って。力也にハンドル周りを見てもらったら、楽に乗れた。いい意味で肩の力が抜けた。そこからは僕としたら快進撃ですね。本当にいいタイミングだった」
続く8月岐阜は決勝に乗れなかったが、シリーズ2勝。9月福井は連勝で勝ち上がって決勝でも確定板に載った。やってきたことは無駄ではなかった。
「我慢の練習をしたし、苦しんだ分、いいものにしたい。今はいろいろ見えて楽しめているかな。慕ってくれる子もいるんでね。僕が頑張って成績を出せば。まだまだ必要とされる人間でいたい」
10月で57歳、残る同期も疋田を含め7人になってしまった。
「残っている中では僕が一番の劣等生。でも僕はコツコツやるタイプだから、そう簡単には崩れないですよ。競輪学校では1番になれなかったから、同期で現役最後の1人。そこを目指したい」
1月からはA級2班に戻る。疋田の競輪人生は、まだまだ続く。