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直送!競輪場便りfrom 玉野競輪場 富永益生(愛知・66期)
インタビュー 2024.09.11

直送!競輪場便りfrom 玉野競輪場 富永益生(愛知・66期)

#競輪場便り

山田裕仁、山口幸二が殿上人として君臨し、中部黄金時代のバイプレイヤーだった富永益生。当時、実弟に前頭筆頭まで行った武雄山(現在の山分親方)がいる経歴も話題になった。特別競輪の常連でありGIでも40勝しているが、GI決勝の大舞台には縁がなかった。

「GⅡは名古屋共同通信社杯と武雄のふるさとダービーの決勝に乗っている。GⅢは1997年の伊東記念で1回だけ優勝した。後ろが同級生の海田和裕とヤマコウさん。幸二さんは海田が発進して俺が番手捲りと提案したけど、海田がOKしなかった。それで自分が前になり、熊本の岡崎孝士と十文字貴信相手に捲りが決まり、それが唯一の勲章かな。このエピソードだけで、当時の中部がどんな状況か分かるでしょ(笑)。特別競輪でも、多くの勝ち星はあるけど、何か足りなかったんだろうね。決勝で社長(小嶋敬二)との連係もないし、あっても初日とか2日目まで。だいたい吉岡稔真の、かませ犬のレースが多かった。愛知から深谷知広が出てきたけど、俺の全盛時代の終わりの頃でピークが合わなかった」。

今は引き締まった肉体だが、7、8年前は、お世辞にもアスリートの体つきではなかった。

「不摂生もしていたからMAX104キロあった。85キロまで落として、多少のリバウンドはあるけど、今は88キロぐらい。子供達は、みんな社会人。今は嫁と、ゆったり暮らしていますよ」。

この玉野ミッドナイトの2日目準決勝は石川の奥出良の番手回り。
「あの立川の全員落車のレースで奥出と一緒だった。もう2年前になるけど、6車立てで、6人全員が落ちた。奥出が、ちょっと振ったところでアクシデント。最初に俺が再乗して、1着ゴール。確か、3連単の配当も10万超えだったと思う」。
これは競輪の珍プレイ大賞とまで言われたレース。
今期の競走得点は89点台。あと、2点上げればS級復帰も見えてくる。53歳にして、卓越したハンドル捌きと、コース取りは若手の見本だ。

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