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直送!競輪場便り fromいわき平競輪場 吉田敏洋(愛知85期)
インタビュー 2022.05.18

直送!競輪場便り fromいわき平競輪場 吉田敏洋(愛知85期)

#競輪場便り

頼れる男が帰ってきた

 中部の精神的支柱が、再び立ち上がった。5月3日に初日を迎えたいわき平GI「日本選手権競輪」。どこからでも聞こえるあの大きな声が競輪場に響いたのは、実に3か月ぶり。吉田は2月3日の小倉FI最終日に1着を取ってから、出走表に名前が載ることはなかった。取手「全日本選抜競輪」も宇都宮「ウィナーズカップ」も棒に振ったが、その理由が「股部腫瘍摘出」とものものしかっただけに、前検日(2日)の検車場はざわついた。「要するに股ずれだね。職業病。2回入院して2回手術した。股ずれ自体は何度もあるけど、ここまでひどいのは初めて。組織が壊死してしまって…」と丁寧に説明してくれたが、復帰までにはさまざまな葛藤があったという。

 練習からストイックに自分を追い込むその姿勢で、名古屋、愛知、ひいては中部を長く牽引してきた。昨年1月には豊橋記念を制するなど、40歳を超えてもパワーに陰りは見えなかった…のに、である。思いもしない試練は、心をむしばんだ。「サドルにまたがれないし、正直2、3回辞めようと思った。資格もないし、この先どう生きていこうかと」。一時は体重も10㌔減ったほど。それでも、毎日バンクに入ってランニング。自分が自転車に乗れない分、鬼コーチと化して後輩をビシビシ鍛え上げた。「はい上がるより辞めた方がはるかに楽なんだけどね。3か月、遊んでいたわけじゃないし、トレーニングはこの10年で一番やった。ダービーに来られたのは奇跡。3か月実戦を走っていないし、どうこう言えないが、やれることはやってきた」と、目指した最高峰の舞台に間に合わせた。

 初日一次予選は山田諒(岐阜)目標だったが、山田が打鐘で叩くと他ラインも一気に巻き返してペースが上がる。吉田はジワジワと遅れていき、集団から離れて9着ゴール。2日目の一般一は長尾拳太(岐阜)に任せたが呼吸が合わず、いったんは自分で前々に踏んだものの、のみ込まれてしまう。直線では落車した長尾に乗り上げてしまい、互いに競走棄権となった。それでもこのまま終わらないのがこの男。4日目の一般二では、松本秀之介(熊本)と岩本俊介(千葉)のモガキ合いを7番手から冷静にまくった川口聖二(岐阜)に続いて2着に入った。3か月ぶりの実戦は、屈辱の“3走お帰り”で終わったが、吉田の表情は明るい。「1回か2回、死んだ身だし、2日目の落車なんて屁でもない。肋骨は痛いけど、5、6月は走らないと出走本数も足りない。オールスターも出られないし、S級1班の点数も取れない。体はバラバラだけど、走って戻すしかねえなと」と、体の痛みに耐えながら今後に思いを馳せる。

 そしてあらためて誓う。「やっぱり自分は競輪選手だなって思った。こんな年だけど、もう少し頑張らせてください」。他地区に比べて層が薄い中部の現状を憂いつつ、自らにもムチを打って奮起を促す。だが、中部には将来を嘱望される若手も多い。吉田の復活ロードに呼応して、地区全体が盛り上がる日も遠くないはずだ。

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