真っ青に染め上げられた髪に両耳にはピアス。年配者の第一印象はけっして良くはないだろう。しかし、この男、しっかりとした自分の考えを持ち、揺るぎない気持ちの強さを持っている。デビューから5年、7月からは初めてS級に昇級する。
「S級のことなんてまだまったく考えていません。S級でも戦えるようにするための競走をA級でしておいた方がいいとか言われるけど、僕は今のA級で必死に戦うだけ。先のための準備をする余裕なんてない。それが自分の考えで、変えるつもりはない」。きっぱりと言い切った。
デビューから2年半もチャンレンジを卒業できずにいた。能力の一端を見せることはあったが、競走得点は上がらず派手な外見の方が目立っていた。当時について「気持ちの入れ方とかがかみ合ってなかったですね」と振り返る。それでも練習だけは欠かすことはなかった。「勝てなくても練習は嫌いじゃなかった。自分一人でやるのが好きで、ロードで乗っていましたね。今でもやっていることは何も変えてないんですよ」
自分の力を信じて、継続したからこそたどり着いたS級。ただ、そんな下岡に大きな影響を与えたのが同県先輩の浅井康太(90期)。技術的なアドバイスとしった激励は選手人生を変えた。「体の使い方や自転車への力の伝え方については浅井さんより知っている人なんていないと思いますよ。S級になってこそ競輪選手、S級に行くまでとにかく頑張れと言ってくれたのは忘れられません」
くすぶっていた期間が長かっただけに、力が付き始めると成績は右肩上がりだった。「S級選手になんて自分がなれるわけがない」と思っていたチャレンジ時代。A級の初日特選に乗っている選手ですら「すごい」と感じていた頃もあったのに、今や、A級戦を逃げ切りで完全優勝してしまうほどに強くなった。
「人より苦労したのは確か。今の力のままではS級で打ちのめされるでしょう。でも僕は今後も今の目の前のレースを必死に戦うだけ。こんな派手な風ぼうですけど、油断はしてないし、なめた考えなんてないんですよ」。この先が楽しみな個性派レーサー。きっとまだまだ強くなるはずだ。(四日市競輪場にて)