努力なくして栄光はなし
「燻る」と書いて、くすぶると読む。火はついているが炎が上がらず、煙ばかり出ている状態。思えば優勝劣敗のプロスポーツの世界において、選手の大多数は「くすぶり期」を経験する。自らの炎を見ることなく去る者も多いが、大川もまた、長いくすぶり期を経験した一人だ。
自在、といえば聞こえはいいが、すべてがトップに少し足りず、ブレイクすることはなかった。だがデビュー17年目の昨年、ようやく壁を突き破る。2月の岸和田でS級初Vを3連勝で飾り、9月の名古屋「共同通信社杯」でビッグ初出場。そこからも炎は燃え続け、今年5月の平塚「日本選手権」で、38歳にしてついにGIの舞台へたどり着いた。一次予選で7着に敗れたが、2、3走目に白星。6日間で5走して、全国のファンに名前を売った。2日目は自力で戦い、前団のもつれをひとまくり。「うれしいですね。コツコツやってきたことが出た。競輪選手になってよかった。でもスタートからの集中力とか、やっぱりこのクラスは違うなと。脚はたまりきっていなかったが、少しでも残っている脚を全部出した。GIの1勝が目標だったし、次の目標を考えたい」と表情を崩した。
3走目は突っ張り先行に出た取鳥雄吾(岡山)の番手から、直線で抜け出し連勝。まくった雨谷一樹(栃木)をしっかりさばき、持ち前の器用さもアピール。「7車とは違うし、取鳥君のダッシュもすごいし、その中でいい判断ができた。先行のハコをせっかく回らせてもらっているし、譲れない。最後はここまで来たら1着取らせてもらおうと。どれかができて、どれかができないのでは、上位でやっていたら勝ち切れないので」。タテ、ヨコともに磨き続けてきたものが、一気に開花した。
すっかりくすぶり期を脱した感だが、本人によると、広島のドンにしての佐古雅俊(45期)の練習グループでもまれたことが大きいと言う。「10年くらいA級にいて、S級に1期だけ上がった。このままで終わるのかと、自分と向き合った。佐古さんに教えてもらうことを、素直に受け入れようと。一から作り直して、S級の得点が取れて5、6年。2期続けて一班は今が初めて。
大川のプロフィールを見ると、小学生時代の「ドッジボール全国大会制覇」という経歴が目を引く。「今は頼まれて、コーチとしてドッジボールを子供たちに教えている。全国を目指してやっているが、頑張れって言っている自分が頑張らないとね。地元の広島は改修中で走れないが、他の競輪場でも名前を呼んでもらえるようになったし、SNSにもメッセージをいただいている」と、いろいろな形で力をもらっている様子。「日本選手権」直後の宇都宮記念初日に落車して大きなケガを負ったが、初出場となる岸和田「高松宮記念杯」へ向け、回復へ必死。苦しい道のりでも、一度ついた火は簡単に消えることはないはずだ。