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直送競輪場便りfrom 前橋競輪 下田和美(熊本・72期)
インタビュー 2025.09.10

直送競輪場便りfrom 前橋競輪 下田和美(熊本・72期)

#競輪場便り

突っ込み屋の誇り――下田和美が歩んだ道

熊本72期、下田和美。52歳。
身長165センチ、体重67キロ。数字だけを見れば、決して恵まれた体ではない。代謝制度の壁も見えてきて、今期限りで引退の時を迎えるそうだ。

彼の代名詞は「突っ込み」だった。後方から縦に伸びる脚。あるいは飛び付きで流れを変える器用さ。
「取手だったと思う。9番手から直線だけで突き抜けそうになったことがあった。ゴール前で少し引っ掛かって2、3着に終わったけどね」
彼は懐かしむように笑った。

当時の競輪は、今とは違う。
「中団4、5番手があれば十分に届く。ギヤは3.57が主流。コースを見極める力と、突っ込む根性さえあれば、十分食っていけた」。

しかし時代は容赦なく流れる。88期・山崎芳仁がデビューして間もなく、競輪は“大ギヤ時代”に突入した。下田和美みたいに回転を武器にする選手には、苦しい舞台となった。

S級上位陣の壁は厚かったが、S級シリーズで2度の優勝を掴んだ。野田源一、菅原晃が仕掛けてくれ、4角番手から抜け出した快勝劇。忘れられないのは岐阜の共同通信社杯(GⅡ)だ。初日特選シードに名を連ね、同県の合志正臣が優勝を飾った大会。あの空気を、今も鮮明に覚えている。

「九州は先行型が少なくてね。だから大塚健一郎君や小野俊之君みたいな、熱いマーカーが評価されていた。僕も引退した鈴木健さんや同県の森内章之さんから、競りの技を教わった。顔の怖さなら、後閑信一さんを含めて“輪界三本柱”なんて呼ばれた人たちでした(笑)」

晩年は腰痛に苦しんだ。思うように練習ができず、それでもバンクに立ち続けた。奥さんも車誘導を手伝ってくれたが、本来の脚には戻らなかった。

飾らず、威張らず。後輩を力で引っ張るのではなく、仲間意識を大切にして人と接した。
華やかなタイトルを手にすることはなかったかもしれない。だが、ひとつひとつの突っ込みと、その人柄が残した温度は、確かに輪界に刻まれている。

――下田和美という選手の物語は、静かに幕を下ろそうとしている。だがその足跡は、読み継がれるべき記憶として、これからも生き続けるだろう。

前橋競輪場から。

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