原点は自転車が好き!
「自転車って面白い」の原点は忘れない。高校時代に使っていたママチャリが壊れ、親に買ってもらったクロスバイクが、すべての始まりだった。こぐペダルの前に進む感触が全然違った。ここから競輪選手に進む道程が始まった。
競輪選手としてデビューして間もない頃、岸和田競輪場で一緒に練習していた古性優作に「どの辺りまでを目指しているの?」と聞かれたことがあった。即答できなかったが、古性は続けて「GⅠって出てみたら面白いよ。目指したらいいと思う」とアドバイスとも冗談ともとれる言葉をかけてくれた。それでも21年のグランプリを制した男の言葉に刺激を受けないわけはなかった。
高校時代は帰宅部で過ごしたが、大学に上がると自転車への興味が膨らみ自転車競技部の門をたたいた。目立った成績は上げられなかったが、4年間競技にのめり込んだ。競輪選手への憧れはあったが、後に同期となる山根将太にケイリン競技で大差をつけられて挫折感も味わい、広告代理店に就職した。ただアマチュアクラブで自転車競技を続けて、大会で一緒になった競輪選手とも交流があって、養成所への挑戦を決めた。会社には受験する1週間前に退社届を出して119期生として一発合格を決めた。
デビューしてすぐに結果は出なかった。それでも大学で鍛え上げた瞬発力を武器にじりじりと結果を残し、22年3月の小倉で9連勝の特別昇班を決めて、4月からA1・2班戦で戦うことになった。
A1・2班戦初戦の岸和田で、3連勝の完全Vと結果を出したが内容には満足してなかった。「地元だったし、知り合いも多く観戦に来ていてどうしても勝ちにこだわるレースになってしまって…。小倉の昇班レースの時と同じです。勝ちたい気持ちが先行して位置取りにこだわるような小さいレースで仕掛けもぎこちなくなってしまって…。これではいけないと思って常に攻める気持ちを奮い立たせてやっています」。
2戦目以降は、脚力を警戒されるレースも増えて勝ち切れないレースも多くなったが納得済みだ。「今の実力ではS級に上がっても通用しないのは分かっています。ダッシュを使ったまくり主体ではなく、流れの中で主導権をしっかり取れるような内容重視でやっています。組み立てとか考えるのも楽しいですね」と目を輝かせる。S級への道は険しいのは分かっていても、好きで続けてきた自転車にとことん浸れるのは楽しい。楽しさの頂点であるという大舞台を目指して、前へ前へとペダルを踏み込む日々が続く。