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日本競輪選手養成所 123回生124回生の入所式が行われました
養成所物語 2022.06.08

日本競輪選手養成所 123回生124回生の入所式が行われました

#養成所物語

5月27日、日本競輪選手養成所において123回生124回生の入所式が行われました。

今回の入所式もコロナ感染防止の観点から、講堂、視聴覚室、教室に候補生達は分かれ、それぞれの場所から、瀧澤正光所長の式辞、笹部俊雄JKA会長の訓辞、123回生から坪内功候補生、124回生から山口優衣候補生の誓いの言葉を視聴した入所式となりました。

また、入所式では、それぞれの場所に分散される形とはなりましたが、入所にあたり各クラスの担当教官に氏名を呼ばれると、起立し、その様子が中継されました。

講堂
視聴覚室
教室
教室
滝澤正光所長 式辞
笹部俊雄公益財団法人JKA会長訓辞
話を聞く候補生
誓いの言葉を述べる坪内功候補生
誓いの言葉を述べる山口優依候補生

今回の注目候補生インタビュー

黒瀬浩太郎 広島 22歳

─競輪を目指した理由は?

「高校から自転車競技を始めて、その時に現在の師匠である吉本哲郎選手とその練習部の皆さんと一緒に競輪場で練習をさせていただいていた時期があって、その選手の方たちと練習していく中で、自分もこういうふうになりたいなという思いが自分の中に出来て、それで競輪選手を目指そうという気持ちになりました」

─それを決意したのはいつくらいですか?

「高校2年生くらいですかね。競技で、短距離の成績が残り始めて、俺もしかしたら(競輪選手に)なれるんじゃないかなと思うようになってきて、そのくらいからですかね。だんだん目指そうかなという感じになってきたというか」

─大学は鹿屋体育大学ですよね、大学では競輪を目指して自転車競技をやっていたという感じですか?

「そうですね。高校の時に大学に行くか、そのまま競輪を受けるかで迷ったんですけど、大学で競技もしたいなという気持ちもあったので、大学進学を決意して。大学では4年後に競輪の試験を受けるっていうのをずっと意識しながらトレーニングしていました」

─養成所での目標は?

「まずハロンで養成所記録を更新するというのがひとつの目標としてあって。それと、短距離は得意なんですけど、中距離になるとちょっと苦手意識があって、養成所の記録会だと3kmのタイムトライアルがあるので、そこもしっかり強化していってゴールデンキャップを獲って、早期卒業も目標に頑張っていきたいと思っています」

─入所してすぐに記録会がありますが、そこでもやはりゴールデンキャップを狙っていきますか?

「ハロン、400、1kmはゴールデンキャップのタイムはしっかり超えていきたいなと思っているんですけど、3kmが今の自分の力だとやっぱりまだ難しいなというところがあるので、とりあえず今回はハロン、400、1kmでしっかり記録を出していって、次の記録会でゴールデンキャップを狙っていこうと思っています」

─最低限、白帽?

「そうですね。最低限、白帽は獲りたいです」

─将来的な目標はどうですか?

「まずは広島県を代表できるような選手になりたいと思っているのと、最終的にはS級S班で活躍できるような選手になりたいです」

─広島というと松浦悠士選手がいますが、どうですか?

「松浦さんは高すぎて、目標というかもう憧れという感じなんですけど、松浦さんに追いついていって、いずれは越えていきたいと思っています」

日吉克実 静岡 27歳

─まずは競輪を目指した理由からお願いします。

「ここ養成所がある静岡県伊豆市、もっと小さく言うと修善寺に生まれ育ったのもあって、かなり小さな頃から競輪は身近な存在ではあったんですけど、陸上競技をずっとやっていたので、頭の片隅に少し競輪というのがあるくらいだったんですけど、陸上を引退するにあたって、第2の人生を考えたときにまだ身体を動かしたいなという気持ちがあったので、伊豆に戻ってきて、競輪選手を目指そうと思ってそこからですね」

─それまでは自転車経験は?

「過去に技能を2回受けていたんですけど、やっぱり全然ダメで。年齢も27歳になったばかりなんですけど、他の高卒や大卒の子に比べるとかなり出遅れているっていうのもあるし、2回落ちているので、最後のチャンスとして親に頭を下げてもう一回だけ挑戦させて下さいと言って、適性試験に変えたら一発でした」

─技能で受けていたときはどんな練習を?

「適性組なので技能組より3週間早く入ったので、ここ1ヶ月くらい訓練を毎日やっているんですけど、(当時は)今思うと練習といえるようなものじゃなくて本当にサイクリングのようなことをやっていたなって。それでは受からないなと、技能組の走りを見ても思いました。やっぱり僕は技能で合格するに値するようなことはやっていなかったなというふうに感じました」

─それは誰か師匠がいて?

「師匠もいたんですけど、師匠が毎日つきっきりでというわけにはやっぱり、師匠にも引退はされているんですけど人生があってというか、僕のために使ってもらえる時間もそうですし、年齢的なこともあったので、自分で考えるのも大事だよというスタンスでもあったので。そこがちょっと甘く考えていたなと思います」

─そのときのタイムはどのくらいですか?

「コロナの前だったので、1回目の時とかはハロンが11秒3とか4で、1kmが1分12とかでした。なので、もしかしたらっていうちょっとそこを悩んでいて、今思えばですけど、一年目の一発目から適性でいっていたらとは思うんですけど、そのなにも残せなかった2年間の悔しさじゃないですけど、それは生かさないとなと思いました。

もしスムーズにいっていたら、また今の気持ちとは違った、ちょっと競輪に対しての真剣度と言ったら変ですけど、こんな一発で受かっちゃうんだっていうような苦労をしらないというのはちょっと、というふうに今は思います。当時はやっぱり一発で受かりたいなという気持はありましたが、もしそこがスムーズにいっていたら、ちょっと軽く考えちゃっていたのかなと思います」

─まあでも実際の勝負は養成所を出てからですからね。

「そうですね、本当に。それは師匠もそうおっしゃっていますし、先生方もそれはおっしゃっていました」

─養成所での目標は?

「いやもう無事に卒業することです、まずは。僕の場合、話題ばかり先行してしまっているところがあるので、しっかり中身じゃないですけど、力も伴わないといけないなと思っていて。で、卒業しないことにはなにも始まらないので、第2回、第3回の記録会の卒業認定の記録を確実にクリアしてっていうのが目下の目標ですね。上位の記録をというよりは、まず僕の中ではそこが最低限やれないことには全く始まらないので。名ばかりの話題先行を、ちゃんと実力をつけて、ひとつ形としてしっかり卒業を果たしたいなというのが今の僕の中での目標ですね」

─皆さんには温かく見守ってくださいという感じで?

「本当にそうですね。本当に話題先行というのが自分の中では結構プレッシャーに感じているので。良くも悪くも目立つ存在で入ってきてしまったので、そこを自分の中でひとつ答えを出せれば、ひとつひとつクリアしていければまた余裕であったり、新しく目指したいことが出てくるのかなと思うんですけど。第1回の記録会がすぐにあるんですけど、卒業認定の基準には入らないということなので、まあそこでちゃんと実力を知って、そこでクリアできていればまた目標は高いところに設定してもいいのかなとは思うんですけど、とりあえずは本当に卒業しないことにはっていうのが危機感としてあります」

梶原海斗 福岡 22歳 

─競輪を目指した理由は?

「高校から自転車競技を始めて、競輪場で競輪選手たちと練習をする中で自転車のプロの世界で戦ってみたいなと思ったのがひとつと、兄が競輪選手になって、僕も競輪選手として活躍したいなと思ったので、競輪選手を目指しました。」

─祐誠高校から中央大学でしたよね? 入所しての感想はどうですか。

「ご飯があまり美味しくないって聞いていたので(笑)。でも普通に美味しいので、そこは良かったなって思っています(笑)。で、大学の友達とかもみんな合格して、普通の普段の生活でも楽しいですし、やっぱり訓練中は私語したりしたらいけないので、訓練中はちゃんとメリハリをつけてやりながら普段の生活は楽しくやっています」

─訓練は大変ですか?

「点呼とか立つことが多くて、作業も立ち仕事が多いので、脚が痛いなという感じですね(笑)。まあ大変なことは特には、決められたことをやるだけなので大変とは思わないですけど。あと10か月頑張るだけですね」

─養成所での目標は?

「ゴールデンキャップを狙いたいんですけど、3kmがちょっと苦手過ぎて(苦笑)。ハロンがちょっと今ここで走ってみて結構タイムが練習車輪でも出ているので、養成所記録を目指したいなと思っています」

─3kmは全然ダメですか?

「今のところは壊滅的ですね(苦笑)。なんとか白帽を狙って。周回もちょっと危ういくらいなので(苦笑)、周回から気を引き締めて頑張りたいと思っています」

─将来的な目標はどうですか?

「選手になればやっぱり先行がカッコいいですし、でもやっぱり先行が一番難しいので、しっかり脚を養成所内でもつけて、ここを出てももっと練習をして、もっと脚をつけて、先行で逃げ切れる選手になりたいと思っています」

─地元バンクは久留米?師匠は?

「久留米です。師匠は西田大志さんです。(師匠は厳しいですか?)いや、厳しくはないですね、面白いので。良くしてもらっています」

─早期卒業にはゴールデンキャップを獲らないと、ですね…。

「そうなんです、ゴールデンキャップが必要なので。3kmも頑張って(苦笑)」

─どんな選手になりたいですか?

「ファンにも応援される、誰が見ても認められる強い選手になって、応援される選手になりたいです。(目標とする選手は?)やっぱり今一番強いと言われている脇本雄太選手のように、誰が見ても強いと認められていますし、やっぱりあそこまで先行だったり、捲りのスピードだったり、カッコいいので、あんなふうな強い選手になりたいと思っています」

坪内 恒 千葉 30歳 

─競輪を目指した理由は?

「大学を卒業して、サラリーマン4年目を迎えた時に、競輪をテレビで見て、そこで興味を持ったのがきっかけです」

─もともとなにかスポーツは?

「学生時代はラグビーをしていました」

─大学を卒業して社会人に一度なって、なぜ競輪に?テレビはなにを観たのですか?

「GIの決勝です。それで興味を持って競輪を調べてみたら、ラグビーとか他の競技をされていた方が活躍しているスポーツだと知って、それで自分も挑戦してみようかなと思って」

─社会人の時に自転車に乗っていたり、なにか身体を動かしたりとかは?

「いや、もうほとんどなくて、趣味で筋トレとかしていたくらいで。ほとんどなにもしていなかったです」

─技能で入っているので、自転車のトレーニングも積んだと思いますが?

「最初のほうはかなり苦労して。もともと最初の一年くらいは奈良県のほうでアマチュアの方としていたんですけど、(試験に)受からなくて、一度やめて、それでまた東京に戻って就職しようかなと思ったんですけど、結局またやりたいと思って、千葉のほうで始めて。去年の一月から始めて、それで試験に受かって今回入所したっていう形なんですけど」

─師匠はいますか?

「はい。師匠は今、千葉の109期の田頭寛之さんです。もともと奈良でアマチュアをしていた時に、田頭さんが京都で練習されていて、よく奈良のバンクに練習に来られていて。それでちょっと顔見知りということもあって、千葉に移動した時に面倒見てくれるようになりました。田頭さんともう一人、染谷幸喜さんがアマチュアを中心に指導されているので、田頭さんはたまにバンクに来た時に教えてもらったり。練習は松戸でやっています」

─実際に養成所に入ってみてどうですか?

「すごく今、同期とか自転車に詳しい子たちがいっぱいいて、刺激があって楽しいですね。やっていけそうです(笑)」

─タイム的にはどうですか?

「今、走っている感じだと平均よりは出ているので、このまま伸びていけばいいかなと。」

─すぐに記録会もありますが、そこではどんな目標を?

「ゴールデンキャップは目指していきたいと思っています」

─養成所での目標は?

「ゴールデンキャップを獲ることと、200で10秒台を出すことです。競走訓練が始まったら、上位10位以内に入りたいな思っています。自分がまだ地脚なのかダッシュ系なのかイマイチ分かっていないので、そこをいろいろ試して見つけていこうかなと思っています」

─将来的な目標は?

「将来的な目標としてはGIを優勝することです。10年以内に。まあ30代のうちにはしたいと思っています」

─目標とする選手はいますか?

「同県の野口裕史さんと、三重の皿屋豊さん。30代でデビューしてずっと先行でしっかり戦っているので、自力で戦っている選手を目標にしています」

124回生

神戸暖稀羽 北海道 18歳 

─ガールズケイリンを目指した理由は?

「父が、私が小学生の頃にいろんな職業の話をしてくれたんですよ。小学生って病院の先生とか学校の先生とか、自分が関わる職業しか分からないんですけど、例えば宇宙飛行士とか薬剤師とか、全然知らない職業を教えてくれた中で、競輪選手っていう仕事もあるんだよっていうのを聞いて、自転車に乗って競走してお金が稼げる仕事があるんだって思った時に、もうそれになりたいって思って、自転車もそんなに好きってわけでもないんですけど、なんか出来そうだなって思って、目指そうと思ったのが小学校4年生でした」

─その頃はガールズケイリンありました?

「ありました、ギリギリ。で、なりたいと言っても試合とかも見たことがないですし、小学校6年生の卒業旅行で函館競輪場に連れて行ってもらったんですけど、住んでいるところから函館競輪場まで260kmくらい離れているんですよ。でもどうしても見たいとお父さんお母さんに頼んで、車で連れて行ってもらって、女子の試合を初めて見たんですけど、すごくカッコよくて、やっぱりすごくびっくりしました、スピードも速いですし。観客の熱とかもすごかったですし。なにより直感で出来そう、って思ったんですよね」

─養成所に入るためにトレーニングとか積んだと思いますが、そのあたりは?

「小学校4年生から中学校3年生までバレーボール部に入っていたんですよ。でも私は身長が小さくて、試合には出られたんですけど、全然活躍できるエースとかにはなれなくて、そういうチームスポーツを経験して、それで自転車に転向して(個人スポーツ)一人は楽っていうか、自分に合っているなと思って。高校1年生から3年生まで自転車競技をしてきましたが、結構スポーツの中でも息とかも苦しいですし、きついと思う瞬間もあったんですけど、やっぱり好きなんです、たぶん。楽しいんですよね、本当に。だからお金を稼ぎたいとか、人に勝ちたいとかいう前に、好きだからやっているという部分が本当に大きいです。だからこそきつい練習でも頑張れるっていうのがあります」

─養成所での目標は?

「目標は、私は短距離が長所だと思っていて、200、400、500とかは結構自信があるんですけど、でも2㎞とかがめちゃくちゃ遅くて、基本的に500以上はもがけないというか、1周もつかもたないかみたいな感じで、本当にそこが一番この10か月で鍛え直さないといけないところだと思っていて。分かってはいたんですけど、でも高校生の時は500とかで競輪とか勝負していたので、全然長距離やらなくて逃げてきたので、この10か月でやっぱりそこを鍛え直して、平均以上に持っていくというのが一番やるべきことだと思っています」

─競輪は結構中距離的なところもありますからね。

「そうなんですよ。短距離だけ速くてもダメだよってコーチにも言われて」

─卒業後、将来的な目標はどうですか?

「やっぱり強い選手になりたいですけど、地元の選手とか見ていて、やっぱり強い選手って怒らないし、威張らないんですよ。で、そういうのってすごくカッコいいなと思って。強かったらやっぱり権力を持つのかなと思うんですけど、でも強い選手ほど威張らないので、そういう選手になりたいと思っています。そうじゃない選手ももちろんいるんですけど、結構函館の選手はみんな優しくて、強かったら余裕が出るのかなと思ったんですよ。やっぱりそういうのを見たら、自分もそうなりたいなと思います」

─ガールズケイリンだと小柄な選手でも活躍している人もすごく多いし、そういう面でもやっていけると?

「そうですね、やっぱりバレーボールをやっていたのが結構。全然上手じゃないのに身長が大きかったら市の選抜とかに選ばれている子とかいるんですよね。そういうのを見ていると、悲しくなったり、やっぱり生まれ持ったものが大きいスポーツもあるんだというのを知って自転車に来たので、そんなに大きくない選手も活躍しているので、自分も頑張りたいなと思っています」

─小林優香選手もバレーボール出身で。そのあたりも目標にして。

「そうですね。目標にして私も頑張りたいです」

東美月 兵庫 20歳

─競輪を目指した理由は?

「まずお金をいっぱい稼ぎたいのと、親孝行がしたいと思ったのでこの道を進みたいと思いました」

─ガールズケイリンを知ったきっかけは?

「もともとガールズケイリンというのはまったく知らなかったんですが、たまたまお父さんが怪我をして接骨院に行ったところの先生が競輪選手で。もともと自転車をやりたかったんですが、その人の紹介もあって、最初は競輪選手を目指すというわけではなかったんですが、紹介してもらった人が競輪選手で、誘ってもらったのでもうその道に挑戦してみようと思ったので競輪選手を選びました」

─ショートトラック出身ですが、それだと自転車に乗ったりはなかった?

「私はもともと兵庫県出身で、兵庫のほうでショートトラックの活動をしていたんですけど、自転車に乗る機会はなくて、スピードスケートと違ってショートトラックは自転車の練習はあまりなくて。よくスピードスケートだと自転車乗ったりするよねって言われるんですけど、私のクラブチームは自転車練習はなくて。もともと私は脚力があると思っていたので、この道でもやっていけるかなと思い挑戦しようと思いました」

─適性ということで、入所してみてどうですか?

「まだまだ自分の出来ていない、技術的にはまだまだ出来ていないことがいっぱいで、すごく勉強することがたくさんあるんですけど、いろんなことを身につけたら、その技術とパワーでトップに立てると、自分でも根拠のない自信ですが、自信があるのでこれからも練習を頑張っていきたいと思っています」

─自転車乗るのは好きですか?

「好きです。もともと小学校の時に一輪車をやっていて、漕ぐことが大好きで。一輪車は小学校で辞めてしまって、ずっとスケートメインでやっていて、スケートをやりながら他の種目、なにか新しいことができないかなという時に自転車を紹介してもらって。これで自分はどれだけいけるか、トップを目指せるかを試してみたいと思ったので、挑戦したいと思いました

─師匠は?

「兵庫の澤田義和選手です。師匠もすごく自分を持っていて、自転車にすごく一直線に突き進む方なので、私も師匠のようにトップを目指していきたいと思っています」

─こういう選手になりたいとか、将来的な目標はどうですか?

「まだ競輪については詳しくわかっていないので、詳しいことは言えないんですけど、みんなからすごいとか、強いと認められる選手になりたいです」

─兵庫県のガールズの先輩というと?

「いま一人、亀川史華選手がいます。まだちょっとしか話していないので、はっきり分からないんですけど、すごくパワーのある選手なので、先行で逃げ切れるすごい強いパワーを持っているので、自分も負けたくないなと思って、養成所で精一杯鍛えていこうと思っています」

─養成所での目標は?

「まだ一か月しか生活していないんですけど、この一か月の練習を通して、自分は持久力は自信があるんですけど、ちょっとパワーが、瞬発力が足りないので、持久力も上げながらパワーの練習を主に頑張っていきたいと思っています」

─すぐに記録会もありますが、そのあたりは?

「正直に言いますと、500や2000のほうでは白帽の記録を目指して頑張っていきたいんですけど、200とか短距離種目はまだその域になっていないので、自分の出来る限りの全力を出せるように頑張っていきたいと思っています」

山口優依 愛知 27歳 

─ガールズケイリンを目指した理由やきっかけは?

「きっかけ自体は二十歳の頃に、母に一度ガールズケイリンをやってみたらと言われて、その時はあまりピンとこなかったのですが、ある意味転職目的で目指してみようと思ったのがきっかけです」

─もともとなにをやられていて?

「いろいろやっていたのですが、過去ですと美容師のアシスタントですとか、郵便局の配達員とか、ストレッチのトレーナー、最近ですとワイズロードという自転車屋さんでアルバイトをさせていただきました」

─スポーツ的なことは?

「スポーツ的なことはまったく、趣味でランニングをやっていたくらいで、大きな大会とか輝かしい栄光とかはまったくないです」

─いきなりガールズケイリンを目指すというのは勇気がいったと思いますが、そのあたりは?

「いや、最初に母に言われたというのも、小さいころから太ももが太かったので、母曰く、脚が太いから目指してみたらっていうので。まあ根拠のない自信はあったので、試験は2回目で受かったので、良かったと思います」

─1回落ちているということはそこからトレーニングを積んで?

「1回目は二次試験まで行ったのですが、そこで落ちてしまいまして。そこから名古屋競輪のほうでお世話になって。そこからほぼ毎日練習してという形です」

─では1回目は本当になにもなく?

「そうですね。もう本当になにも分からない状態で名古屋競輪の愛好会に参加させていただいて、そこから話がどんどん進んでいったという感じですね。(どのくらいの期間で1回目を受けたのか?)ちょうど2年前の2020年の5月に始めて、試験が10月初めなので、3ヶ月ちょっとくらいでしたね」

─それで一次試験に受かるのはすごいですね。

「ありがとうございます。本当に惜しくも二次で落ちてしまったので、まあ根拠のない自信もあって、来年は絶対受かるという気持ちで練習に取り組んでいました」

─師匠は?

「高野輝彰師匠です。高野師匠はそんなに厳しくなく、優しく。ただ、時にはやっぱり礼儀とかには厳しい部分があるので。でも基本的に他の選手に混ざって練習しろというスタイルでした」

─名古屋とか愛知はガールズの選手も多いと思いますが、そのあたりは?

「まだ豊橋の選手とは交流が少なかったり、ない選手が多いのですが、名古屋競輪のガールズの選手の方々はとても優しく、一緒になって練習をさせていただけました。中野咲選手や永禮美瑠選手、120期で卒記を制した西脇美唯奈選手とか。他にも猪子真美選手だったり、當銘直美選手もお世話になっています。本当に皆さんに、それこそ姉弟子の中西叶美選手にも養成所に来る前に頑張ってくださいと言葉をもらったので、皆さんの期待に応えられるように頑張りたいと思います」

─養成所での目標は?

「第一回の記録会では白帽は狙いたいです。まだギア等が分からないので、自分に合ったギアを養成所の中でいろいろ試行錯誤して、自分に合ったギアを見つけたいと思います」

─卒業後の目標は?

「戦法等がまだまだ分からなくて、自分の脚質とかも全然わからない状態ですので、ひたすらに長く強く続けられる選手でいたいと思っています。賞金は多くいただきたいですし、高額納税者になりたいので(笑)頑張りたいと思います」

─目標とする選手はいますか?

「太田りゆ選手は目標にしております。取手モーニングか、大垣か、今年に入ってのレースなんですけど、すごいダッシュが、シッティングしながらのダッシュがすごく強いと思って。やっぱりそうなると他の選手からしたら、気づいたら遥か彼方にいるっていうのを先輩から聞いたので、そういったダッシュに特化した選手にはなりたいと思っています。(太田選手は)選手としてもですが、女性としてもやっぱり憧れですね。太田選手みたいに美容やファッションにも手をかけたいと思っています」

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