「人と違う職業に就きたかった」
小林真矢香選手に、競輪選手になった動機を聞いたら、こう答えが返ってきた。
「競輪選手がどんな仕事か分からなかったけど、人と違う事をやってみたかった。それが選手を志望した動機です」。
高校時代は陸上部で投てきの選手。飛距離を競う競技で、砲丸投げ、円盤投げ、ハンマー投げ、やり投げだ。身体能力の高い、アスリートだったかと思いきや「インター杯には出場できなかったし、北陸大会止まり。普通の部活動でした。高校3年の8月に陸上を卒業。それから、自転車部があったので、ふとした縁で、競輪選手を目指そうと。最初は部の顧問の先生に教えてもらい、自転車を乗り始めました」。
だが、プロの競輪選手になるのは甘くない。学業で言えば、東大に合格するのと同じレベル。
「親との約束で養成所に受かる迄の最初の1年間は、全て面倒を見てもらった。一次試験は合格したけど、二次試験で不合格。次の1年は、親から自分の事は自分でやりなさいと言われ。バイトをしながらだったけど、何とか2年目で合格。100円ショップのダイソーでバイトをやっていたし、お金の有り難みは分かっています(笑)」。言うなれば、100円の商品販売から、100円の車券を売る、華麗なる転身とも言える。
122期生で合格して、1着は3回で、在所成績は15位で卒業。飛び抜けて強い同期はいないが、渡部遥、松本詩乃、又多風緑は安定して優出している。
デビュー直後は苦戦したが、今年6月の岐阜ミッドナイトで初優勝。一線級のメンバーは不在だったが、1角から仕掛けて逃げ切った。
「決勝にも数回しか乗れていなかったし信じられなかったですね。優勝賞金は家族で、いつもより高いお寿司屋さんに行ったぐらい。デビュー戦の賞金は、お母さんの手荒れが酷かったので、食洗機を買ってあげました。自分への御褒美は特になかったですね。バイト時代の金銭感覚しかないので、今の収入は夢みたいです」。
脚質は超地脚で、先行が基本になっている。
「飛び付きとか、その辺りの技術が足りない。先行して強い選手に行かれても、どこかに入れれば良いと思っています」。
それが別府GⅢで行われた、2日目の予選競走。
GIを狙っている坂口楓華に行かれてしまったが、3番手にハマる形に持ち込んだ。
「もう少し、スピードを上げる脚があれば、行かれても坂口さんだけ。そうすれば3着でなく、2着に入れる。そのトップスピードが今の課題のひとつです」。
雰囲気を見てもらえば分かる様に、温厚そうな人柄。
その辺りを師匠の坂上樹大に聞くと
「真矢香は練習から私生活から全部真面目。真面目すぎるから、失敗すると考え込んでしまう。競輪なんて失敗の連続の競技だし、もっと気持ちを楽に持てと指導しています」。
現状、競走得点は49点で、負け戦の本命選手。だが、競輪オンリーの生活だし、努力が実を結ぶ日も近いだろう。