堤洋も“タイトルに最も近い男”と呼ばれた選手のひとり。
だが、GIでは2003年の小倉競輪祭の決勝3着が最高。
中四国が今と違い、先行選手の層が薄い時代。
もし、堤洋の全盛時代に、犬伏湧也、町田太我、清水裕友、松浦悠士がいれば、間違いなくタイトルホルダーになっていただろう。
「時代が悪かったし、確かにそうかもしれないね(笑)。小倉竜二君は、すぐにマーク屋になったし、俺の下が渡部哲男君や佐々木則幸君。他にめぼしい先行屋も特にいなかった」。
記念は、4個取ったそうで、FIの優勝は10数回あるそうだ。
「最初の記念制覇は玉野記念。平成11年だから、今から25年前。相手は内林久徳さんとかいたけど、先行逃げ切りだった。それが一番の勲章だね。あの時代、小橋正義さんは仕事をしてくれたけど、ほとんど差された。児玉広志さんのケースは番手捲りだったからね(苦笑)。この小松島記念の時点で367勝で、2着が355回。今と違い、後ろのマーク屋が容赦なく抜きにきた」。
思い出のレースを、いくつか振り返ってもらうと「広島FIだったけど、おぐ(小倉竜二)が駆けてくれて優勝した事かな。彼はマーク選手として、バリバリ売り出していた時だから、みんな信じられなかったみたい。あのポーカーフェイスだから、走る前に何も言ってくれなかったし、僕も駆けてくれてビックリした(笑)」。
今回の地元記念出場は7年ぶり。
「今開催にはいないけど、ちょっと前は原田研太朗君と太田竜馬君が主力級。1班の人数の都合でいつも誘導だった。脇役の立場だけど、こうして地元のビッグを走れるのは嬉しい事。決勝には乗れなかったけど、準決まで行けたし十分ですよ」。
元祖イケメンだし、渋みも出てきて、人間性も良い大人の男だ。