ベテランが示した復活までの道
2002年にS級に昇級し2003年3月の平塚日本選手権でGⅠ初出場を果たすと、これまで1年たりとも欠かすことなくビッグ、特別戦線を走り続ける歴戦の猛者だ。S級上位にこれだけの期間、君臨するのは並大抵のことではなく、しかも自力でその座を守り続けているのだから評価は高まる。
しかし、昨年は体調不良やケガに苦しみGⅠ、GⅡ戦線の出場は2月高知「全日本選抜競輪」のわずか一本にとどまった。そして今回はおよそ1年ぶりのGⅠ参戦だったが、何と補充要員だった。「(2003年以降、1年にGⅠ、GⅡを)1本しか走れなかったのも、1年間もGⅠから離れたのも、補充で走るのも初めて。初物づくしで緊張しました」と勝手の違いに戸惑った。
レースは同じく補充参戦だった山田諒とラインを組んだが「おい、オレたちは補充だぞ。おとなしく走ろう(笑)」と3度も念押ししたという。しかし、山田は地元戦とあって大いに奮起し、結果は吉田が交し、なんと両者のワンツーが決まった。「補充待機だったから『早い段階から準備をしておいて』と言われていたけど、人の不幸を手ぐすね引いて待つのも悪いと思って、いつも通りに練習をして備えていました。山田が落ち着いていたし、自分もレース中にこんなに余裕があったのはいつぶりかってぐらいだった」と、自身も驚くまさかの決着に顔もほころび気持ちも上がった。
中部地区の屋台骨を支えてきた御大の復活はまちがいなく地区の活性化につながる。「この1着で気持ちも状態もここからだと思ったし、もう1回この舞台に戻りたい。それも自力で。中部は今ここ2、3年のうちに若手がでてきた。自分がもう少しだけ頑張って叩き上げたい」。
直後に走った「高松競輪開設73周年記念 玉藻杯争覇戦」は最終日に落車をしてしまったが、準決までコマを進め「やっと自分の中で頭と体がつながり始めた感じがある。最近にはなかった感触」と兆しを感じさせた。いずれも、まだまだ老け込めないとモチベーションが高まった値打ちのある開催だったに違いない。