選手の鑑
いつからか、グランプリ出場の選手は競輪祭が終わると、12月の斡旋は走らなくなった。本番迄に怪我のリスクもあるし、昨年の広島記念でも守澤太志は骨折している。
記録を調べていたら平成26年の広島記念(決勝は12月16日)では、武田豊樹と神山雄一郎は出走して神山雄一郎が優勝しているが、時代の移り変わりを感じる(グランプリでは武田豊樹が優勝)。
今年もファイナリストの9人で今月の開催を走ったのは松浦悠士だけ。普段から落車しても欠場せず、調整休みもしない松浦悠士は選手の鑑だと思っている。
松浦悠士は「リスクは高いけど、僕は地元ファンに育てて貰った。広島記念は大規模改修があり、僕が地元を走れるのは3年後。大事なグランプリの前にアクシデントは嫌だけど、それ以上の責任があると思っている」。
初日特選のレースは全く車が進まず、3回ぐらい転びそうになっている。しかも、後ろの小倉竜二、香川雄介、久米良は落車のハプニング。優勝直後のインタビューで「初日の走りがグランプリ本番だと思うと、ゾッとする(笑)」。
二次予選も格下相手のメンバーに、やっと勝った印象のレース。この時点で「グランプリはダメでは…」の意見が記者席でも流れていた。
準決は結果的に犬伏湧也とワンツーを決めたが、踏み出しで口が空き、イメージを崩す走りばかりだった。
決勝のメンバーが発表されると、55分間の長い話し合いに入る。ハラケン(原田研太朗)が源さんスタイルを表明して、話しがややこしくなっているからだ。徳島勢の並びが決まってから、松浦はコメントすると話し、ローラーに乗ったり、自転車をいじったりして時間を潰していた。ここでも「早く並びを決めてくれよ」とイライラせず、自然体だったのも凄いと思う瞬間だった。結局、原田研太朗も犬伏湧也も自力でやる事になり、仲の良い同級生のハラケンとジックリ話し込む。その結論が「グランプリ前の地元記念だし自分でやる。これも僕の我が儘」。
実際のレースはまるで、中四国作戦が合った様な好プレー。いつになくハラケンが中団3番手を取り、その後ろが松浦悠士。車間を切ってハラケンが捲り、最後は余裕で差しての嬉しい地元記念V。終わってみれば、最後は松浦だったが、このシリーズの流れは苦しかった。
僕らは車輪の事は分からないが、最近、車輪の大切さを話す。「優勝した車輪も前3日間と違うが、これではグランプリは通用しない。エース車輪を探さないと。本番では単騎になるし位置取りがカギになる。相手うんぬんでなく、自分の状態を上げておきたい」。
今年、年頭に掲げた目標が賞金王。グランプリを優勝すれば、この“賞金王”の称号も手に出来る。グランプリは、人間性からも松浦劇場で締め括るとみた。
~広島競輪場から