本格先行へプレイボール
白球への思いをペダルに込めて日々もがく日が続く。粗削りながら爆発的なダッシュから徐々に踏み上げてスピードに乗り、主導権を取っていく。ゴールという完投を目指し力尽きるまで踏み抜く。
22年7月からS級の舞台に立った。デビュー2場所目の岸和田記念で初の9車立てを経験した。戸惑いの中で2日目の2次予選では別線のラインが次々に襲いかかる激しい主導権争いに巻き込まれて落車。S級最初の洗礼を浴びた。「A級の戦いとは全く違いましたね。でも何も分からないまま飛び込んで2年半でS級の場に立てたのは大きな経験です」と前向きにとらえる。
野球一筋だった。右の本格派投手として市立和歌山高校からスポーツ推薦で関西国際大学に進み、プロ野球選手を目指した。高校、大学と千葉ロッテマリーンズで活躍する益田直也投手と同じ歩みだった。「益田さんとは大学で一緒に練習したりして刺激を受けました。卒業後は軟式野球のある会社に就職して野球は続けました。ただ社会人での野球は草野球に近いもので、常に一生懸命で全力で取り組んできた今までとは全く違ってました」。
同じくプロ野球選手を目指していた父の思いを継いでやってきた野球には未練はあった。その父から競輪を薦められた。「プロスポーツ選手には憧れがあったし野球でだめでも消防士とか自分の体力を生かせる職業を考えていたから迷いを断ち切れました」。地元で通っていたジムに偶然にも和歌山競輪選手のリーダー格の池田智毅がいて指導を請うた。自転車競技は全くの素人で3年はかかるといわれたが、本格的なトレーニングを始めて3カ月で試しに受けた養成所を一発合格した。「自分にはこれしかないと思っていたし、才能というより気持ちで頑張れたのかなと思います」。
11月の四日市記念はS級で始めて手応えを感じたシリーズとなった。初日こそ8着に終わったが、2日目を強烈な追い込みで2着とすると先行で1、3着にまとめた。その直後に近畿地区プロで古性優作に「将来的には人の後ろを回る時が来る。その位置で力を発揮するためにも今の先行スタイルは大事」とアドバイスをもらった。「古性さんも今年引退された村上義弘さんもかつてはばりばりの先行選手だった。今は先行にこだわって経験を積みたい」。村上イズムを継承して近畿を代表する先行選手を目指して大きく腕を振りかぶった。まずはど真ん中の直球勝負で挑む。